「水と山の神を守る鬼の子孫」
- まやはるこ

- Feb 26, 2023
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昨年秋のこと、友人に誘われるまま洞川を訪ねた。
神戸から車で2時間30分位。女同士のおしゃべりは、時間が経つのが早く感じるのか、あっという間に着いた。
天川村洞川は大峰山の麓にある。大峰山の開祖は役行者だそうな。人間と大自然の関係を見直す修験道という山岳宗教らしい。女人禁制は今も続いているという。
持参したランチを川べりで食べ、コーヒーを飲み終えた友人は、
「ねえ、ねえ、近くに湧水があるらしいよ」と話した。
「へえ、そうなん」
「〈泉の森〉っていうんだって」
食べ終えたランチボックスを片付け、スタスタ歩き出す友人。その後を必死でついていく私。
名泉100選に載っているという〈泉の森〉は、森の中に静かに佇んでいるように見えた。
大峰の山から湧き出てくる水って、一体何なのだろう。
どこか神がかっていて、近づくのが怖い感じがした。
夕方になり友人が、
「温泉に入って帰ろうよ」と提案してきた。
「それなら行者さんの宿で聞いてみようか」
洞川の宿はその多くは行者宿である。車が行き交うのがやっとの道幅に向かい合うように立ち並んでいる。派手さはなくどこか郷愁を感じる。
温泉目指してプラプラ歩いていると、通りの上にぶら下がっていた提灯に灯りが灯った。
「あっ、提灯!昼間は気がつかなかったよね」友人が提灯を指さした。
その昔は遊郭があり、ずいぶん賑わっていたそうだ。
どこか名残りを感じた。
目についた一軒に入った。
温泉だけ入れてほしいとお願いすると心よく受けてくれた。
宿の従業員が風呂場に案内してくれた。浴室の扉を開けると目の前が湯船、その傍らに陶器で作られた鬼が立っている。鬼の足元に小さく〈前鬼の湯〉という文字。まるで名札のように、ぼんやり見えた。
前鬼、後鬼は、役行者に仕えている鬼の夫婦の名前だと聞いたことがある。
前鬼‥‥。心にひっかかった。
鬼という名前は、目に見えない霊魂や精霊や人にも祟る化け物などが由来となっている。
「鬼滅の刃」は大ヒットしたのは、それほど共感者が多かったのだろう。
因みに前鬼と後鬼の夫婦は、渡来人だったとも聞いている。真偽はわからないが、慣れない土地で村八分にされて、荒れていたところを役行者に会い心改め、役行者に仕えたという。
人は誰でも冷酷になったり呪ったりしてしまう経験は一つや二つあるのではないだろうか。
どんな小さな事でも、相手に向いていけば、ただの愚痴が呪いと化す。相手が弱ければ、従うようになり洗脳に発展する。どこかで止めたいと思っても、どうしたらよいかわからず、途方にくれる。身近な親子関係でもあるように思う。私自身も心あたりがある。
その後、ふらりと一人天川村へ出かけたくなった。
南阪奈道路、葛城インターから、24号線に入る。橿原小房交差点を右169号線へ。ここから天川村を目指す。30分ほど走り大淀の交差点に差しかかった時、右に行くべきところハンドルを左に切ってしまった。
「しまった!下北村方面ではないか」上の案内版を見ると、この道路も169号線だった。どんどん走る。大淀交差点から2時間は経っただろうか。黄色い箱型の建物が見えてきた。通り過ぎるはずが、思わず右にハンドルを切って横道に入ってしまった。
「変な日だなあ」そのまま細い山道をゆっくりゆっくり進む。30分程走った頃〈前鬼の滝〉と書いてある看板の前に車を止めていた。
身体が吸い込まれていくような透明な水。流れ落ちる水辺に立つ。身体を纏っている感情の鎧がいとも簡単にさーっと、剥がれていくような感覚。
耳からは鳥たちのさえずり。視線を上に上げると木々がスローモーションのように揺れているのが見える。
ここは知っている世界ではない。私はどこに迷い込んだのだろう。
勢いよく流れる水しぶき。微粒子が身体を包み込む。
重く感じた前頭が、何故だろう。軽くなっている。
大自然と溶け合っているせいなのか。
そういえば思い出したことがある。認知症を患っている友人の父親が大自然の水場に立った時、健康な状態に戻ったと聞いた。
神戸の家に帰宅。時計を見ると18時。帰りは渋滞していたせいか、ドライブは5時間もかかってしまった。
不思議と疲れは全く感じない。
前鬼後鬼のことが気になり調べたくなった。前鬼の滝は行者の垢離場(ごりとり場)で、身を清めて山に入る為の場所だった。
その昔、鬼を先祖に持つ人が宿坊を営んでいたそうだ。
五軒あった宿坊は、今は一軒のみとなり水辺近くにある。奈良県下北村前鬼に、現在61代目、後鬼助さん夫婦が宿を営み、山に登る行者のお世話しているらしい。後鬼助さんもまた鬼の子孫なのだろうか。




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